池波正太郎『男の作法』という小さな本があります。1981年 (昭和56年) に出版されましたから、もう30年以上の本です。だから古い。現代と価値観が合わない部分もあります。
しかし、この本『男の作法』は、いささかも価値を失っていないと考えます。私はとくに若いサラリーマンに読んでほしいなと思います。
池波正太郎『男の作法』は、私たちの衣食住について書かれた本です。お寿司屋さんでの振る舞い方、トロの頼み方、結婚観、靴みがき、日記の使い方などなど、いま風にいえばライフハック本とでもいいましょうか。しかしそのようなバズワードではとらえきれない男の「粋」がこの小さな本にはあります。
この本の冒頭では「鮨屋に行ったらシャリだのアガリなどといわずに、ふつうにご飯・お茶と言え」というアドバイスがでてきます。シャリ、アガリ、オテモト、ムラサキは元々は鮨屋仲間の隠語です。それをお客さんがしったかぶりしていうなら、軽蔑の対象となると指摘しています。
これはお鮨のお話ですが、これはべつにお鮨に限った話ではなく、ほかのことについても同じです。たとえば大阪のうどんはだしが透き通っているのに対して、東京のうどんはだしが濃く辛いです。この事象をとらえて「東京のうどんなんか食えない・・・」などというのはばかの骨頂だと池波正太郎は指摘します。
本当の大阪の人は決してそういうことを言いませんよ。東京の人も、本当の東京の人だったら決して他国の食いものの悪口というのは言わない。一番いけない、下劣なことだからね。
京都だってね、昔の東京で食べさせた料理と同じような濃い味つけの料理屋があるんだからね、昔からある料理屋で、西陣という織物があるでしょう。その旦那衆が行く料理屋は味が濃いんですよ。そういうこと、知らないでしょう、そういう人たちは。
上方料理でも味が濃いのがあるんですよ。なぜだかわかる? 西陣あたりにそういう味の濃い料理屋があるというのはね、西陣の織物問屋の旦那なんていうのは働きが激しいですよ。商売の用であっちへ行ったりこっちへ行ったり、頭も使い、からだも使って一日激しく働くんです。そういう人たちは、いくら上方の人でも当然、生理的な要求から濃い味付けのほうがいいんですよ。
(池波正太郎『男の作法』51ページ)
缶コーヒーに「製品情報 BOSS(ボス)」というのがあります。砂糖がたくさん含まれていて、普通には飲みづらいです。しかし、炎天下のなか汗をたくさんかくような職業のひとにとっては、これぐらい甘い方が生理的にはいいのです。
この本で私がすきな箇所は万年筆について書かれたところです。
万年筆とかボールペンとかサインペン、そういうものは若い人でも高級なものを持ったほうが、そりゃあ立派に見えるね。万年筆だけは、いくら高級なものを持っていてもいい。つまり、いかに服装は質素にしていても万年筆だけは、たとえばモンブランのいいものを持っているということはね。アクセサリー的な万年筆がふえたけど、そういうのはだめ。そうじゃなくて、本当の万年筆として立派な機能を持った万年筆はやっぱり高いわけだから、そういうものを持っているということは若い人でもかえって立派に見える。
(それは別に、物を書くのが仕事であるという人ばかりではなくて、職業と関係なく、ですか・・・・・・。)
職業とは無関係。だから、トンネルの工事をしている人が、そこでモンブランのいい万年筆を出して書いても、それはもう、むしろ立派に見えるわけですよ。そりゃあ万年筆というのは、男が外へ出て持っている場合は、それは男の武器だからねえ。刀のようなものだからねえ、ことにビジネスマンだったとしたらね。だから、それに金をはり込むということは一番立派なことだよね。貧乏侍でいても腰の大小はできるだけいいものを差しているということと同じですよ。
気持ちとしてはキリッとするわけだよ。自分でも。高い時計をしてるより、高い万年筆を持っているほうが、そりゃキリッとしますよ。(略)男っていうのは、そういうところにかけなきゃだめなんだ、金がなくっても。
(池波正太郎『男の作法』86ページ)
池波正太郎『男の作法』には、ほかにもさまざまなトピックが取り上げられています。男の運をあげる女、下げる女について。単調な仕事の楽しみ方。幼児体験が将来に与える影響。気分転換の方法。マンションのリビングの使い方。電話のかけ方で女を見分けること。カレンダーの使い方など。
若いサラリーマンにとって参考になる考え方が池波正太郎『男の作法』にいっぱい含まれています。20代、30代の若いひとに一読をお勧めしたい。