「iPadでつづる命 末期がんの主婦、病棟からブログ 」という記事が朝日新聞デジタルに載っていました。 取り上げられたブロガーは、主婦の久美子さん。50歳で、ホスピスにて暮らしています。
久美子さんのブログのリンクはこちら→「私はまだまだ生きられる 余命宣告の期日を過ぎてからの毎日を綴ります」 新聞記事によると
「余命を宣告された末期がんの女性が、わずかに動く指先を使い、ブログで発信を続けている。タブレット端末を通して他の患者らと交流することで、一時は失いかけた生きる気力を取り戻した。末期患者でも生を楽しめる――。こんな思いを伝えたくて、タブレット端末が利用できる病棟の環境づくりを求めている。(朝日新聞 2月1日夕刊)」
とのこと。
久美子さんは末期患者です。余命4から5ヶ月と告げられたが、それをこえているいま、末期ライフをiPadで楽しんでいるとのこと。iPadでタッチペンを利用してブログを更新しています。
ブログで大勢の人とつながることができたと。1日あたり8000人の訪問があるそうです。
さらに久美子さんはさいきん、音声で文字入力できることを知ったそうです。久美子さんいわく
「ブログが私の抗がん剤になった。この部屋から、世界とつながれたんです(朝日新聞 2月1日夕刊)」
私はこの記事を読んですぐに maclalala2 の3年前の記事を思い出しました。 iPad に秘められた無限の可能性 | maclalala2 こちらはアメリカの話です。8歳のOwen少年は脊髄筋萎縮症により、動きの自由を失い、口もきけず、常時人工呼吸器を必要としています。
その子がiPadを楽しんでいる様子が、NYTimesのビデオにて取り上げられています。 Becoming Han Solo – Video – NYTimes.comぜひご覧ください。 本記事にふれ、maclalala2 の藤シローさんは次のように述べました。
「iPad はスマートフォンとフル PC の間の、非力で中途半端な存在だ。「消費」(Consumption)には向いているが「創造」(Creation)には不向きだ。そんな「仕分け」したひとはこれを見てどう感じるだろうか。 (略) 未来の可能性を具体的に提示できるデベロッパたちは、どんな思いでこのビデオをみるだろうか。少年の指先にどんな世界を創造したいと思うだろうか。 「創造」には不向きと切って捨てるのは過去の技術の延長上に物事を見るからではないか。未来の豊穣な体験の可能性に視点をおいて見れば、まったく新しい世界が開けるのではないか。」
私は別に iPad がなにか魔法の道具であるとか、終末医療に役立つとかいうつもりはありません。もしかしたらNexus 7 でも国産タブレットでもいいかもしれません。それはポイントではありません。
iPadが登場してはや4年が経ちました。iPad を「単なる消費の道具」と位置づけ、きって捨てるようなものの言い方を繰り返す「情報強者」たちがいまだにいます。曰く、「Macこそ『創造』のデバイスである」と。 そのように言いたいさかしらなひとには、題目を唱えさせておくがよい。私は進んで「情報弱者」になりたいと思います。
iPadは、iPadを血眼になって発売初日に買うようなギークの「慰み者」である必要はありません。iPad は”普通の人々のためのもの(for the rest of us)” です。
久美子さんやOwen君のようなふつうのひとが楽しむためのコンピュータです。それがiPadの本分です。