本日5月16日は MacBook がリリースされた日。2006年、いまからちょうど7年前のことです。
この年、AppleはMacにIntelのプロセッサを続々と搭載していきました。1月にはiMacを、2月にはMacBook Proを、そして4月にはMacBook Pro 17インチをリリースしました。押し寄せるインテル化の波のなか、エントリーモデルノート型Macを求めるMacファンはiBookの後継となる新しいマシンを「いまか、いまか」と待ち望んでいました
Apple、Intel Core Duoプロセッサを搭載した新しいMacBookを発表
Apple (日本) – Apple Press Info – Apple、Intel Core Duoプロセッサを搭載した新しいMacBookを発表
そして5月、MacBook がAppleから突如リリース。まったく新しいキュートでセクシーなデザインのMacBookはIntel Core Duo プロセッサを搭載。13インチの美しいワイドディスプレイを備えていました。
さらにFront Row・DVI出力・オプティカルデジタルオーディオ入出力・Gigabit Ethernet・緊急モーションセンサー/スクロールトラックパッド・MagSafe™電源アダプタを備えた新しいポータブルMacは、その先進性とリーズナブルな価格が消費者に大歓迎されました。まさにコンシューマの夢が詰まったマシンでありました。
初代MacBook は3つのラインナップから構成されています。
まず1つ目。ホワイトモデル。DVDは焼くことができないものの、お値段は134,800円。CPUは1.83GHz Intel Core Duoです。
2つ目もホワイトモデル。ただしこちらはDVDが焼けるタイプ。CPUも2.0 GHzと高速な物を積んでいます。159,800円。
3つ目はブラックモデル。二つ目とスペックはほぼ一緒。違いは80GBのHDDを搭載していること。色違いで179,800円と2万円お高いモデルです。
なぜブラックモデルはお高いのか?
――全然違う話ですが、黒はどうして高いんでしょう(HDD容量の差を考えても1万3300円高い)。
ムーディ氏:わはは、スペシャルだからだよ。
インタビュー:「黒いのは高いだって? それはスペシャルだからさ」――MacBookインタビュー (2/2) – ITmedia PC USER
この「わはは、スペシャルだからだよ」という名言は、日本のMacコミュニティを駆け巡りました。
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MacBookがリリースされた翌日の17日、私はMacBook(ホワイト)を購入しました。このマシンを入手したことで、私は人生が大きく変わりました。いままで触ってきたコンピュータ(UNIXやWindows)とは全く違うパーソナルコンピュータを手にし、私は文字通り完全に魅了されました。
そして同年7月、MacBook(ブラック)をゲット。2台のMacBookを同時に使い始めました。
私はかつて「モノを愛する」なんて気持ち悪いと思っていました。よくクルマやバイクなどを愛するひとをみかけますが、「愛車」とか、私はまったく興味がありませんでした。そもそもクルマなんてiPodのコマーシャルで使われているBMWしか興味がない・・・。
モノよりも思い出のほうが大事だ、物質主義に毒されるまいなどと思ってました。若かったからかな、観念的/形而上的でした。買い物なんて女のするものだと。
しかしMacは違っていました。Macを使っていると、Macに込められた作り手の思いを肌で感じられたのです。モノを出荷する人たちの思想や理想を一台のコンピュータに込めて具現化するとこうなるのか・・・。感服しました。
Appleのモノ作りの姿勢はロマンそのものです。そしてモノの魅力、モノ作りの魅力に気がつきました。驚きました。ハマりました。そして納得しました。
MacBook はディスプレイが奇麗で、キーボードが打ちやすく、スリープさせると、ランプがふわふわ明滅する。かわいらしい。そしてMacは、当たり前のことが当たり前のように動く。実に、実に、使いやすい!
じつは初代MacBookは完璧ではありませんでした。ケースが変色する問題など、いろいろと不具合もあったのは事実です。
それでもなお、Macは魅力的で、起動しない日はありませんでした。不具合なんてユーザの力量でカバーする。MacBookこそが私にとっての最良のコンピュータであると確信し、Mac の使い方を勉強しました。
MacBookの重さは2.27 kgといまの基準からすると重いのですが、気にせずモバイラー気取りで外に持ち出していました。
ワクワクしてたら、重さなんて関係ないんです。人間の感覚なんてそんなもの。軽いと思えば軽い。重いと思えば重い。MacBookはちっとも重くないです。
MacBookを携え、京都・龍安寺にいった (写真はiPhone 3G)
MacBookを購入した日以来、私の傍らにはつねにMacがあります。だから今日5月16日はまるで親友の誕生日のようなものなのです。
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2011年、MacBookは製品のラインナップから消えました。残念ではありますが、ただよく考えてみると、MacBookの持っている先進的な機能とリーズナブルな価格設定は、まさに2010年以降の MacBook Air に受け継がれております。
DVDやカラーバリエーションこそありませんが、11-inch, 13-inch の2つのサイズはかつてのコンシューマ向けMacの iBook を想起させます。MacBook Air は薄くて軽くて速い。そして安い。最高です。
だから私はMacBook Air はいっそのこと MacBook と改名したらいいのではないかと思います。3文字はもうそろそろ余計です。なにごともシンプルな方がAppleらしくていいじゃないですか。
Appleのポータブル型Macにはコンシューマ向けのラインと、プロフェッショナル用のラインだけがあればいい。すなわちMacBook Air と MacBook Pro with Reina displayです。
非RetinaなMacBook Pro はどうやら発展途上国などネット環境のよくない地域で販売するために依然としてラインナップに残り続けるらしいのですが、レガシーを重視するのでなければ、MacBook Air と MacBook Pro with Reina displayがあればそれで十分。MacBook Air は愛されたコンシューマ向けMacの王道をいくポータブルコンピュータなのです。
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MacBookには私の夢がたくさん詰まっていました。iPhoto、iDVD、iMovie、iWeb、Garageband。AppleScript、Automator、ダッシュボードウィジェット。iChat、QuickTime AV、Exposé、Grapher、アドレス帳、Mighty Mouse・・・。
今日5月16日、Macを手にして感動したあの日を、懐かしく思い出しました。