師走に入りました。そろそろ年賀状の準備をしなくてはならないなと思い、昨年までに頂いた年賀状を整理していたところ、藤子・F・不二雄先生から届いた年賀状がでてきたので紹介します。
藤子・F・不二雄の平成5年(1993年)の年賀状
これは平成5年(1993年)の年賀状です。酉 – とり年です。
私は1992年の大長編ドラえもん「のび太と雲の王国」に感動して、藤子・F・不二雄先生にファンレターを出したのでした。便せん4枚ぐらいの長いファンレターを書きました。その当時の自分の琴線に触れるものが「のび太と雲の王国」にはあったのだと思います。後期大長編の傑作ですよ。
そうしたところ、翌年のお正月、藤子・F・不二雄先生からこの年賀状が届いたという次第です。ずいぶん驚き、またうれしかったので、お正月、この年賀状をじっと見ていたことを思い出します。
藤子・F・不二雄の平成6年(1994年)の年賀状
さらに翌年、平成6年(1994年)に届いたのがこちらの年賀状。戌 – いぬ年です。
年賀状の下部に、なんと藤子・F・不二雄先生からのメッセージがついていました!
「頑張っていますか? 今年もよろしく。」
F先生らしい几帳面な字が書かれていました。直筆の年賀状が届いたことに私は狂喜乱舞して、飛び上がって喜びました。
自分の机の前にこの年賀状をしばらく飾っておきました。ちょっとにじんでいるのは、たぶんこのF先生の字を指でスリスリとしたからですw
藤子・F・不二雄の平成7年(1995年)の年賀状
平成7年(1995年)に届いたのがこちらです。亥 – い年。
藤子・F・不二雄の平成8年(1996年)の年賀状
平成8年(1996年)に届いたのがこちらです。子 – ね年。 ドラえもんが、お正月パーティの主人公であるネズミを見て汗をかいて逃げ出そうとしています。
ご紹介できる年賀状はこれが最後です。藤子・F・不二雄先生は同年9月23日、肝不全のためお亡くなりになりました。62歳でした。だからこの年を境に先生から年賀状が届くことはありませんでした。
藤子・F・不二雄先生との一番近い距離を感じたのは、作品以外ではこれらの年賀状を通してでした。年賀状を見ていると、まんが道のシーンを思い出します。
上記は藤子不二雄A「まんが道」より引用。
「ディアー、サイノ アンド マガ」で始まるこのはがきは、手塚治虫先生が若き満賀道雄と才野茂(藤子コンビ)に送ったものです。ハガキのバックは宇宙のコスモですw でもけっして大げさな表現ではないと思います。一通のはがきが漫画家志望だった少年たちの運命を大きく変えたからです。
藤子・F・不二雄先生のファンに対するこのようなコミュニケーションのスタイルは手塚先生ゆずりなのだろうと思います。そしてこのスタイルは藤子・F・不二雄先生がお亡くなりになるまで続きました。藤子・F・不二雄先生は手塚先生に、そして自分自身に忠実にあり続けたのでした。
藤子・F・不二雄先生から頂いたこの4枚の年賀状を見るたびに、私は自分の背筋がしゃんとなるような気持ちになります。 「頑張っていますか? 今年もよろしく。」というF先生の声が聞こえてきそうです。
手塚先生や藤子・F・不二雄先生とおなじように、私もはがきのコミュニケーションを大切にしたいと思います。
この4枚の年賀状は私の宝物です。